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SPECIAL

スペシャルインタビュー 横山茂さん VOL.1

「ギャラクシアン」シリーズ誕生のきっかけ

― 「ギャラガ」の企画はどのような経緯で生まれたのですか?
横山 当時のナムコが「ジービー」(※注1)というビデオゲームを最初に出して、その後「ギャラクシアン」(※注2)を出しました。
それからパックマン(※注3)ですね。特に「ギャラクシアン」というタイトルでものすごい数のボード(※注4)が出たんですよね。要は、そのボードを使って別のゲームを作ろうと。それで最初に作ったのが「キング&バルーン」(※注5)ですね。
その後に、まだギャラクシンやキング&バルーンがロケーションにたくさんあったので、今度は「ギャラクシアン」のイメージを持った、当時「スペースもの」と呼ばれていた方向性で考えてみようということになり、考えたのが「ギャラガ」。
― 最初は「ギャラクシアン」と同じハードウェアで作られていたんですか
横山 初め「ギャラクシアン」のボードを使うという前提で考え始めて、一部試作を始めたのだけれど、研究開発センターにいる石村さん(※注6)っていうハードウェアの責任者の方が新しいボードを作るということになって。
それで企画をもう一回見直しをして作り始めたのが「ギャラガ」ですね。元々はそういう経緯です。
― では、結構古くから企画されていたのでしょうか
横山 いや、当時古いといっても、作るスパンが短いので。前作が完成してから2か月弱で最初の仕様書を書いたと思う。
― 最初に検討したのが「スペースもの」ということは、「ギャラクシアン」の続編という扱いではなかったのですか?
横山 まあ、「ギャラクシアン」みたいなものって指定は無かったのだけれど、当時他社さんが「ギャラクシアン」と同じようなもの作ってて、逆にうち(ナムコ)は「パックマン」や「ラリーX」(※注7)などの路線に行っていたので、「もう1本くらいやろうよ」という営業からの要望も確かあって、「ではやりましょう」ということになりました。

画期的なデュアルファイターのアイデア


― 「ギャラガ」は、横山さんが一人で企画を考えながら、プログラマー(※注8)と共同で作っていったのですか
横山 そう。プログラマーができるように、最初に仕様書は書きます。
最初にアレコレと企画書や仕様書を書いて、当時は審査会とか無くてね…当時の課長なり、部長なりがコレでいいって言うと作り始めちゃうんですよ。
― プレイヤーが捕虜にされて合体するというアイデアは当初から考えられていのですか?
横山 そうではないです。
― では何かヒントがあって生まれたものだったのですか?
横山 当時はプロト1、プロト2というステップを必ず踏むんですよ。要は、最初の試作段階。プロト1の段階では、画面の上に軍団がいて、それが飛んできて、「ギャラクシアン」とは違うような飛行ルートを飛ぶというところまでできていて、それで遊べたんだけど、ぶっちゃけインパクト無いよねと。
「ギャラクシアン」の遊びっていうのは、飛んでくるミサイルの隙間を縫うっていう遊びなんですよ。それはできたんですけど、それだけだと「ギャラクシアン」と同じ遊びなのでインパクトが無い。
それで最初に考えたのが、敵にちょっと違った攻撃方法をさせようかなと。何の映画か覚えてないんだけど、ビームが出てるのを見て。
― トラクタービームみたいな?
横山 うん、一撃で壊われてしまうのではなくて、捕まるようなビームを出したらどうだろうかと。それで連れていかれる。で、連れてった捕虜は戻したいですよね。
― そうですね
横山 初め、戻す時には残機に戻すって考えたんだけど、それではエクステンド(※注9)と同じでつまらないな、と。
それで、デュアルファイターというものができた。あとは(並べ方を)縦にするか横にするかですよ。
― 縦はすごいですね(笑)

チャレンジングステージ製作秘話

― 特徴的なチャレンジングステージはどのように生まれたのですか?
横山 「パックマン」でパックマンショー(※注10)っていうのが2面終わったらあって、「ラリーX」ではチャレンジングステージがあって、「ギャラガ」でも、何かやっぱり演出は要るよねって。
ただ、何をするかって決めてなかったんですよ。何か考えないといけないねって思ってたんだけど、たまたまプログラマーの小川さん(※注11)さんがバグを出して、画面上に軍団組むヤツがそのままピューッといなくなっちゃった。
そのバグが出た時に呼ばれて、コレ何か使い道無い?って言われて(笑)
― 小川さんもちょっとそれが面白かったんですね(笑)
横山 ちょうどそれもバグで、ミサイル撃たなかったのね。
それを下からビュンビュン撃つとコレ面白いねっていうことで、コレをチャレンジングステージにしようと。偶然の産物です。
― そこから始まって、だんだん豪華になっていったんですね。
横山 最初はもうバグで出たヤツを1パターン用意したステージだけだったんですよ。作り込んでいく中で、やっぱり長く遊んでもらいたいゲームにはしたかったので、あれだけのパターン数を作った。
小川さんが以前作ったプログラムを転用すれば数作れると言ってくれたことも大きかったです。
小川さんはプログラムの腕も大したものでしたが、ゲームセンスもあって、私がこういう仕様追加したいというと、面白いと思ったものは何でも受けてくれました。小川さんと組まなければギャラガはあそこまでの完成度にならかったと思いますよ!
― チャレンジングステージに登場するキャラクターもだんだん変わっていきますよね。
横山 プロト2の時に敵の攻撃にもう少しバリエーションが欲しくて変身攻撃という仕様を追加したんですが、このキャラクターも使えるってことでチャレンジングステージのキャラクターも変えました。
― 次のチャレンジングステージには何か出てくるのかなっていう期待感がありましたね。

ギャラガのキャラクターとネーミング

― キャラクターのイメージは横山さんが考えて作られたのですか?
横山 そう、イメージだけ。初めは全然こんな感じではなくて、もっと「ギャラクシアン」に似てたかな。
ナムコではこのゲームから、こういうキャラクターをいわゆるデザイナーって人がデザインするようになったんですよ。
デザインを勉強した専門家の小野さん(※注12)が初めて書いてくれたのが、このキャラクターなんですよ。
― 企画の人がすべてを見ていたんですね。
横山 当時は私がゲームを3つくらい見てて、自分で全部担当してたのがコレ(ギャラガ)で、あと「ボスコニアン」(※注13)と「ディグダグ」(※注14)は後輩の担当がいたので、作業的なことは彼ら後輩に手伝ってもらってました。
― 並行して色々なゲームを作られていたのですか。それは大変ですね。
横山 「ギャラガ」に関しては仕様を決めたのは全部私でした。
逆に「ボスコニアン」では、私の後輩が全部仕様を決めていました。
単にドット絵を描く作業は、小野さんもこればっかりが仕事ではないので、基本は専門としてはグラフィックのデザインをやって、メインキャラクター以外のドット絵を描く作業は私と後輩で分担してやっていました。
― 「ギャラガ」っていう名前を考えたのも横山さんなのですか?
横山 いや、これはね、確か当時のデザインの課長さんが、響きとやっぱり「ギャラクシアン」があったのでギャラは使いたいと。
あと、蛾みたいのと、英語的に何か意味があったらしくて。それでギャラガっていうのをデザインの人が言って、決めるのは中村さん(※注15)なんですが、すごく響きを気に入って、私も気に入ったのでいいですよって。
― 「ギャラガ」のガは「蛾」の意味もあったんですか! 「ザコ」とか「ゴエイ」とか「ボス」とかの名前も決めてあったのですか?
横山 単に雑魚、護衛、ボスってずっと呼んでた(笑)
― そのまま正式名になっちゃったんですね(笑)

スプライトの壁

― 先程の話でデュアルファイターは、自分のパワーアップから考えたのではなくて、相手の攻撃を考えてる中で生まれたというのは初めて知りました。
横山 ただ、1つ問題が出て、当時ナムコでオブジェクトと呼んでいた、今で言うスプライト(※注16)を、全部使い切っていたんですよ。
ということは、並列で2機になった時に2つミサイルを撃つことができないんです。それでどうしようという話になって。それで、まあスプライトって16x16ドット(※注17)で、その中に2つ書いちゃおうと。
― 実際に飛んでいるミサイルは1個だけど、2つのミサイルが描かれている絵を出したと。すごい思い付きですね。
横山 パワーアップになるかどうかっていうのは、自分(ファイター)のヒット(当たり判定)も倍になるので、そのトレードオフの関係って作ってみないと分からなかったんですよ。
実際にデュアルファイターができて、うちの連中に試しプレイをさせるんだけど、みんなデュアルファイターにならないんです。
その方がヒットが狭いので、長く遊べるんですよ。そのトレードオフの関係がチャレンジングステージができたことによってちょうどよくなった。
― チャレンジングステージの前にデュアルファイターになりたいですもんね。
横山 だから後半の方の面にいくと、もうオープニングでほとんどやっつけないと絶対にデュアルファイターだとやられちゃうんですよ。
― 横山さん自身は、「ギャラクシアン」を結構研究されたのですか?
横山 当時、ビデオゲームは、会社の中では私が1番上手くて。
学生の頃、「スペースインベーダー」(※注18)をずっと遊んでいましたから、断然ビデオゲーム上手かったんですよ。
だから、「ギャラクシアン」のモニターはいつも私でした(笑)
― そういった経験が、上手く「ギャラガ」に反映されているんですね。ボスを倒すと何秒間か攻撃が止まるとか、そういったところがちゃんと継承されているのは、前作を色々とやっていたからだったと。
横山 それはありますね。
「ギャラクシアン」も、ボスが3機で飛んで来るじゃないですか、その護衛を2匹撃ってからボスを消すと高得点となる。あれも後付けなんですよ。
ファインプレーするとみんなオォーって言うじゃないですか、要は見せ場が得点になる。「ギャラガ」も最初からこういう仕様じゃなくて、後で色々と付け足していったんだけど、原点にはそこがあるんだろうと。

―  「キング&バルーン」は「ギャラガ」の前に出たシューティングゲームでしたが、どのような関係だったのですか?
「キング&バルーン」は私の発案ではなくて、澤野さん(※注19)が「ギャラクシアン」を作った時に、スペースものじゃない原案がもう1つあったんですよ。
それを私が、今で言うディレクター、企画で作ったっていう。原案は元々ありました。
―  企画の原案から全部作られたものが「ギャラガ」だったんですね。
そうです。ただやっぱり、「キング&バルーン」は、「ギャラクシアン」のボードだったので連射とかできなかった。
敵が王様連れていくじゃないですか、あの時緊急事態でしょう。やっぱり弾いっぱい撃ちたいんですよ。
でも弾撃てないので、しょうがないから「ギャラクシアン」よりもスピードを速くしたんですよ。連射にしてよって言われたんだけど、スプライトが無いので連射できないんで。
―  なるほど。ゲーム内容としては、連射とかその辺は既に考えられていたというわけですね。やっぱり新しいボードがあって、実現できたことがあったと。
そうだね。だから、できなかったことができるようになった。

パネルの歴史を変えた

―  「ギャラガ」製作の上で苦労した点はどんなところでしょうか?
横山 まずボードが変わって、考え方をもう1回ゼロからリセットして考え出した時にどうしようかってところね。それから1番揉めたのは筐体。
― 筐体ですか?
横山 苦労したというか、「ギャラガ」が出るまでっていうのは、「ギャラクシアン」も「パックマン」もテーブル筐体にボタンやスティックが垂直に付いているんですよ。
「ギャラガ」って連射をするゲームなので、これだと非常に押し難いんですよ。ボタンも「ギャラクシアン」とか、ストロークが非常に深く、長いボタンなので、やり難い。
それで当時の筐体やメカの専門家と相談して、オレは水平(※注20)にしたいと。
― 横山さんがそこまで決めていたんですね。
横山 それで試作を作ってもらったんですが、圧倒的に手を置いた方が全然やりやすかった。ボタンも変えたいと言って、色々とボタンを試して。
― ボタンも軽くてやりやすかったですね。
横山 アレもやっぱり色々あってね、重いとか軽いとかストロークの深さとか、あと耐久性の問題もあって、色んなものを取り寄せてもらって、じゃあコレでいこうって決めた。


―  「ギャラガ」が初の水平コントロールパネルという発明をしたんですね。テーブル筐体の形を変えたと。
横山 テーブル筐体は喫茶店にあるので、その筐体にどう付けるかっていうので反対もあったんですよ。足が引っ掛かるからと。結局、営業でも意見が割れたんですよ。
それで、色んな部署に相談したり、両方試してもらって、最終的には遊びやすい方が良いっていうことで、こっちのタイプをメインでは採用することになったんだけど、それが決まった後に、とある方に思いっきり怒られて、こんなもん売れねぇだろ!って。
今から変えろとも言われたけど、逆に一部の方はこの方が良いって言ってくれたのでコレで作っちゃったんですよ。
その時に負けて変えなくて良かったなって。
―  それ以降は現在までずっと平面になりましたもんね。
横山 その時は本当に思いっきり怒られたので、ヤバいかな?と思ったんだけどね(笑)

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  • PROFILE
  • 横山 茂(よこやま しげる)
    株式会社バンダイナムコスタジオ 代表取締役副社長

※インタビュー本文に記載されている「ナムコ」とは、現在の「バンダイナムコエンターテインメント」のことです。


インタビュアー:おにたま(ツェナワークス):川野忠仁(ツェナワークス)
photo by IKEDA MASANORI

※1 ジービー
1978年に発表されたナムコ初のアーケードビデオゲームブロック崩しとピンボールを融合させた新しいスタイルのゲームだった。
※2 ギャラクシアン
ナムコのスペースシューティング第一弾となる、1979年発表のアーケードビデオゲーム。
高い技術力により、当時としては画期的な映像を再現していた。
※3 パックマン
ナムコが1980年に発表したアーケードビデオゲーム。
総販売枚数293,822枚という、ギネス記録にもなった世界的な大ヒットを記録し、日本が生んだ代表的なゲームキャラクターの1つとなった。
※4 ボード
ゲーム回路基板のこと。ゲームの映像や音を出す中心的な役割を果たす。
70年代当時のアーケードゲームでは、ゲームごとに異なる設計のものを大量に生産することが多かったため、新作のソフトウェアに転換する方法が求められていた。
※5 キング&バルーン
ナムコが1980年に発表したアーケードビデオゲーム。敵のバルーンからキングを守るための砲台を操作するシューティングゲーム。
当時珍しい音声合成を搭載し、砲台に残機がないなどユニークな特徴を持っていた。
オープニングの音楽も、横山茂氏の手によるもの。
※6 石村さん
バンダイナムコエンターテインメント元代表取締役社長である石村繁一氏
※7 ラリーX
ナムコが1980年に発表したアーケードビデオゲームマイカーと呼ばれる青い車を操作し、敵の車を避けながらチェックポイントを通過するアクションゲーム。
当時珍しい横画面、4方向にスクロールする画面やレーダーなど、ナムコらしいユニークな要素で溢れていた。
※8 プログラマー
コンピューターのプログラムを書く担当者。
初期のビデオゲーム開発では、企画やデザイナー、サウンド、プログラマーなどを同じ人が兼任することも多かった。
※9 エクステンド
残機が追加されるボーナスのこと。
ギャラガやギャラクシアンでは、特定の点数に達することで、残機が追加されていた。
※10 パックマンショー
パックマンに登場するキャラクターが、数秒間だけ画面上で寸劇を演じるデモのこと。
ゲームを一定の面クリアするごとに表示される。
※11 小川さん
「ギャラガ」でプログラミングを担当していた小川徹氏のこと。
※12 小野さん
「ギャラガ」でグラフィックを担当していた小野浩氏。Mr.ドットマンとしても有名。
※13 ボスコニアン
ナムコが1981年に発表したアーケードビデオゲーム。
8方向にスクロールする宇宙空間で敵基地を破壊していくシューティングゲーム。
※14 ディグダグ
ナムコが1982年に発表したアーケードビデオゲーム。地中を掘り進みながら敵と戦うアクションゲーム。
地中断面図のようなポップな画面、敵をポンプで膨らませるアクションなど斬新な要素が多かった。
※15 中村さん
ナムコの創業者であり当時ナムコの社長だった中村雅哉氏(現ナムコ名誉相談役)のこと。
発売するゲームは厳しくチェックし、アドバイスをすることも多かった。
※16 スプライト
ゲームキャラクターの絵を表示するハードウェア上の仕組みのこと。1つのスプライトに、1つのキャラクターを割り当てて画面上で動かすことができる。
80年代当時、日本は最新のスプライト技術により次々とゲームを開発していた。
※17 16x16ドット
縦横16個の点の集まりを指す。当時のスプライトの基本的な画像サイズだった。
現在とは違い、使える色も同時に4色までという厳しい制限があり、職人技のようなデザインが要求された。後にドット絵とも呼ばれるようになる。
※18 スペースインベーダー
タイトーが1978年に発表したアーケードビデオゲーム。
コンピューターを使用したビデオゲームの先駆けと言われ、特に日本国内で爆発的な人気となった。
※19 澤野さん
当時、ナムコでゲーム開発を担当していた澤野和則氏(元ナムコ取締役)のこと。
※20 水平
テーブル筐体のコントロールパネル(通称コンパネ)が水平になって、手が置けるようになったのはギャラガから。
それまでは、テーブルに対して垂直に取り付けられていた。

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